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「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「無量 > 量」

2015年7月1日

■株価の上昇
最近、日経平均株価が十数年ぶりに高値を付けたとのニュースがありました。インタビュー映像で、「○○円儲かりました!」と嬉しそうに答えている人を見ました。投資信託や不動産などの投資を誘う広告も増え、景気が良くなってきたなぁと実感した次第です。経済ニュースにおいては、いくら儲かったとか、いくら損したとか、数値がつきものですが、つまり”量”で表すことによって、単なる指標にとどまらず、ひいては、人の評価や優劣をつける道具とされることが多々あるように感じます。子供の頃はテストの点数、大人になれば財貨量の多い・少ないが人生の全てというような俗な思想が多数派を占めていますが、量で優劣を量り、他者と比べないと自らの存在を示せないものなのでしょうか。

■比べない世界
小池龍之介さんは、著書の中で、「自分はより優れている」と比べないように。「自分はより劣っている」とか「自分は同じくらいだ」とも比べないようにするといいとのお釈迦さまの説いた言葉を紹介し、人は「自分はどれくらいのランクなのだろうか?」ということを確定したがる習性を持っていて、そのために常時、自分と誰かを比較して、「自分が上だ」「下だ」「同じくらいだ」というクセがあるのだと言います。ここで比較するのは、殆どの場合、量であらわされるものです。お金、成績、不動産、クルマなど等。自分そのものとは関係のないものの量を比較して、自分が下だと思って他人を羨んだり、自分が上だと思って他人を蔑んだりすると、心に安らぎを覚えないのは必定でありましょう。

■唯我独尊とは
一方で比べない方の極端なものに「唯我独尊」があると言われます。この世で、自分ほど偉いものはいないとうぬぼれることという解釈が多数派です。これは、お釈迦さまが生まれたときに七歩歩き、一方で天を指し、他方で地を指して唱えたという言葉で、この世の中で自分より尊いものはいないということですが、本当の意味は違うのではないかと思います。これは「比べてはいけない」ということと、お釈迦さまだけではなく、「人はそれぞれ自ら尊い存在である」ということではないでしょうか。尊いものであるからこそ、人と比べたりするのではなく、他人を尊重すべきであるという戒めのような気がしています。

■比べないために比べる
さらに分かりにくくなりますが、比べないためには、比べることも必要だと思います。自らの大きさが大きくなると尊大になるのですから、自らは小さいと認識すべきだということです。元東大総長の佐々木毅さんは、「卓越性を追及して、知的活動であれ実践的活動であれ、あらゆる面で不断に鍛え、自らの可能性を大きくする努力をしてほしい」と述べ、「”すごい”人間や自分が到底”かなわない”人間に出会い刺激を受け、卓越性の追及の厳しさを肌で感じることを人生の醍醐味にしなければならない」と言われています。個人的には、リアルとともに、歴史上の偉人を知ることも大切だと思います。お城や寺社などを見ることも大切です。自分の小ささを実感するのは良い発奮材料になります。

■他力
また、他力というのも重要なことです。一般に、他力というと、自分に力のない人が力のある他者に助けを求める依存心と思っているふしがあります。メディアにも「他力本願ではいけない、自力で頑張らなければならぬ」というようなことが書かれたりもします。しかし”他力”は仏教用語で、自分自身ができる限りの努力をしたときに与えられる仏のご加護であり、似たような言葉では「人事を尽くして天命を待つ」の天命の部分にあたるのではないでしょうか。さらに、自分は完璧だと思う慢心を戒めるために、自分ではどうすることもできないものやことがあって、人を越えたものがあるということでもあります。地震や津波、洪水や雷なども一例です。比べず、謙虚に生きることが大切なのです。

■ダイバーシティ
ダイバーシティとは、企業社会での流行語ですが、本質的に理解されていません。多様性、多様性の受容ということを意味していると言われています。外見的な違いだけでなく、内面も皆違っている人それぞれの「違い」を受け入れ、認め、活かすことが趣旨なので、「かくあるべし」と画一的なものではなく、各自の個性を活かした能力を発揮できる風土を作り上げて行くことが必要です。つまり、従来のように、一つの基準で量をはかって比べて優劣をつけるのではなく、あえて量らずにそれぞれの個性や良さ、強みを活かしてパワーを作っていこうと思うことから始まるように思っています。これをやれるかどうかは、科学的に量れませんが、その組織の度量の大きさにかかっているのです。