「主体性 >したい性」
2016年4月1日
■「渡辺和子さん
Eテレの『こころの時代』という番組で、放送された「私の戦後70年」というシリーズを見ました。それは、二・二六事件で、陸軍教育総監の父を目前で殺された渡辺和子さんと、その父にとどめを刺した陸軍少尉の弟、安田善三郎さんのお話しでした。この二人は、事件から50年の法要で初めて顔を合わせたとのことでした。兄のことに負い目を感じてきた安田さんは、渡辺さんが父を殺した兵士たちの墓に手を合わせたことに驚きました。渡辺さんはノートルダム聖心女子学院理事長で、カトリックの修道者だからできたことかもしれませんが、心を打たれました。この番組を見て、さっそく渡辺さんの本を読みましたところ、人生や仕事にも通じる良いお話がたくさんありました。
■「主体性」と「したい性」
その中で印象的だったのは、「今、何がしたいかと同時に、今、何をしなければならないかを、併せて考えられる人になることが大切だ。そして、その両者が競合するときには、しなければならないことを優先して行える判断力と意志の力があったらすばらしいと思いました。してはいけないことに対しても同じです。したくてもしない意思の力です」というところです。したいことをするのは「自由」ということで、それは素晴らしいことでありますが、その使い方を誤ると、「したい性」という単なるワガママに陥ってしまう危険性を示唆されています。「主体性のある人」とは、物事や行動を環境や周囲のことをみたうえで、自ら考え、選び取り、判断できると力、洞察力を持っていることだと思います。
■『社長になれる人、なれない人』
経営コンサルタントの小宮一慶さんは、著書『社長になれる人、なれない人』の中で、「社長というのは[役割]だということです。あくまでも[役割]なのです。」と述べられています。これを自分なりに解釈しますと、社長と言う権限を利用して、個人的にやりたいことをやることではなく、やるべきことは「社長という役割」ということです。役割を特権だと勘違いしてしまい、会社を危うくすることは絶対にやってはいけないことです。いくら仕事のことであったとしても、これは私利私欲つまり「したい性」を発揮しているだけという結果になってしまいます。これは大企業でも陥ることがあることは最近の報道からも推察できます。「社長は誰がやっても一緒」ということは絶対にないのだと感じます。
■存続を許される組織とは
そして、「会社には良い会社、悪い会社はない。良い社長、悪い社長しかない」という社長になるための金言を挙げておられます。さらに「実際、社長次第で会社の経営は100%決まってしまうといっても過言ではありません。」これは規模に関わらず同じことだと指摘されます。身近なところで、戦後間もなく創業された会社が最近倒産してしまいました。これは想像ですが、環境の変化に対応しなかったのが最大の原因のように思います。70年も続いたのに終わってしまうこともあるのだと身に染みました。存続を許される組織とは、そこのリーダーが、変化に対応するという”やるべきこと”をやってきたかどうか、またどれだけやったかが分かれ目になることを改めて実感しました。
■資産残さず、名を残す人
人気の朝ドラで登場する”五代さま”こと五代友厚さんは、幕末から明治にかけて活躍した元薩摩藩士で実業家。新政府役人として大阪に赴任、その後は民に転じ、当時「まさに瓦解に及ばんとする萌し」であった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った大阪経済界の重鎮の一人です。朝ドラのブレークする前はあまり立ち止まる人もいませんでしたが、大阪商工会議所や北浜の取引所前には銅像が立つほどの方です。この方、莫大な資産を残したと思いきや、借金だけが残されたという話です。資産を残すことに執念を燃やす単なる俗人とは違って、資産は残さずとも名を残した偉人中の偉人です。世の為、人の為にささげた人生って格好いいですね。
■言うは易し行うは難し
五代さんのように、人々から慕われ尊敬される人々が少なからず存在します。この方たちは、他の人と何が違うのでしょうか。その一つは、見返りを前提とせず、寛大で、利他の心を持つ与える人だということです。成功とは、他人の幸せと成功によって得られるものなのです。それは分かったとしても、自らがそうなるのはとても難しいと思います。なぜなら、利他の心と行動と言動の原動力(エンジン)が弱いからです。いいことだと思ってもできないことはたくさんあります。それができるというのは強いエンジンがあるからです。言い方を変えれば「志」です。「存続を許される組織」も「名を残す人」も強烈な「志」を持ち、「主体的」な行動を積み重ねていることは間違いありません。