「洞察力 >暗記力」
2016年6月1日
■頭が良い人とは
我が国において、「頭が良い」という意味は、偏差値の高い学校を出ているとか、資格を持っているとか、大企業に入っているとか、そういう外面かつ表面的な判断基準によることを指します。この基準は、決して間違いではないものの、絶対的なものでもありません。そもそも、何の為に勉強するのかは『孟子』に「窮して苦しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って、惑わざるがためなり」とあるように、人生の複雑な問題に直面しても惑わないためです。人生や仕事の場面において、「頭が良い人」とは、学歴・資格・職歴などを得るために答えのある問題を解いてきた過去に執着する人ではなく、これから来る未来を洞察できる人であり、日々自分や周りを、より良い状態にできる人だと思います。
■生徒・学生時代
とはいえ、大多数の人は、いい学校、いい会社に入るために勉強しているに過ぎませんので、社会に出るまでの時代は、暗記力の勝負です。答えのある問題を限られた時間のなかで、より多くかつ正確に解いた人が高い点数を得られます。しかし当時はそんなこととも知らず、暗記が得意な人を頭が良い人だと錯覚していました。全国模試を受けた時に、私大文系コースの自分が取った英語の点数より、東大理系コースの人の英語の点数が高かったことがあり、自分の実力を悟ったこともありました。この時期は暗記一辺倒を強要するより、古典や偉人伝などの書物を読ませるとか、旅行などさせる方が、後々に洞察力への転換が容易になるように思います。
■若手社員時代
社会人になってからもしばらくは、実は学生気分が抜けません。資格などを取れば、飛躍できるのではないかと思ったりします。まだ暗記力を重視しています。また、与えられる仕事も、経営の根幹を揺るがすような重要なものはあり得ないので、それほど重要なものはありません。何せやったことがないことが多いので、自らは重要な仕事をしていると過度に錯覚しています。一部では何でもできてしまうという万能感に陥ってしまい、将来の禍根を残したりします。そんな中でも少しずつではありますが、答えのない問題を洞察する人と、答えを与えられないので思考停止に陥る人と差が出はじめる時期でもあります。でも、この時期は大きな差は表面化しないものです。
■中間管理職時代
何歳で中間管理職になるかにもよりますが、管理職の仕事ができるから、管理職になるわけではないことに気づかないといけません。管理職ができそうだから、また、管理職をやって欲しいからという、会社や上司の期待により管理職になれるということです。ここでボタンを掛け違うと、少々余計な時間を費やしてしまうことになります。また、プレーヤーとして優秀だった人ほど、他より早く出世するものですが、自分の事より部下など他人のことを優先できる人が管理職なので、残念ながらこのあたりで打ち止めの人が出てきます。まだ止まれればいい方ですが、現状維持のみ目指すと不思議と後退してしまうので注意を要する惑いの時期です。
■経営者時代
課長や部長などの中間管理職をクリアすれば、次は経営者の領域にポジションがあがります。勘違いしがちなのは、このポジションを特権だと思うことです。経営者は単なる役割であり、中間管理職時代とは比べ物にならない高いレベルで私利私欲を抑えられなければなりません。もちろん家や車や美術品にこだわるのは自由ですが、部下たちの支持は得られなくなることを覚悟しなければならないでしょう。経営者は未来に向けて、会社という組織の延命を実現させるのが仕事となるので、単なる予想という次元ではなく、範囲は広く、視点はかなり先のことまでを洞察できる力のみが求められると言っても過言ではありません。
■温故知新
洞察力の乏しい人が経営者になってしまうと、答えのない経営課題に対しては思考停止となるため、経営判断を誤り、会社や社員に甚大な迷惑がかかります。そうならないためには、直面する課題に対し、答えはないけれども、ヒントはあることに気づくことが大切です。そのヒントは時空を超えて生き続ける古典や歴史、文化や宗教に隠されています。「故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし」つまり、先人の知恵を勉強して新しいことを思索し、自らがリードしなければなりません。高いポジションにいる人ほど、過去に培った暗記力を土台とし、先人のヒントを得て、自分のためより、人のために、未来への洞察力を磨かなければなりません。深く肝に銘じる所存であります。