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「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「本学 >末学」

2016年7月1日

■東京都知事
先月、都知事が辞職しました。世論調査によると、八割の人が「辞めるのは当然」と思っていたようです。これでハッキリしたことは、「私利私欲は嫌われる」ということと、「暗記力は万能ではない」ということです。先月は、答えのない人生においては、答え合わせをするだけの暗記力より、将来を読み解いていく洞察力が重要であると書きましたが、こんなに早くに具体的な事例が出るとは思いませんでした。前知事は我が国最高の大学で学びましたが、人々が嫌がることさえ分からなかったのです。”頭が良い”と言われる人が、格好悪いオチになってしまいました。

■本末転倒
四書五経の一つ『大学』には、「物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し」とあるそうです。これは、物事には必ず本と末、終わりと始めがあるものである。そこで、常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば人の道に大きくはずれる事はないという意味です。学問の分野では、(1)本学が徳性を養う人間学(2)末学が(時務学)で知識や技術。ものには必ず「本・末」があり、これを逆にすることを本末転倒と言いますが、学校で本学を教えられることはなく、受験科目には末学しかありません。残念ながら前知事は、本末が転倒していたようです。

■荀子
約2500年前の中国の儒者、荀子は、「それ学は通の為に非ざるなり。 窮して困(くる)しまず、憂えて意衰えざる為なり、禍福終始を知って惑わざるが為なり」と言われました。つまり、真の学問というものは、出世や就職ためではない。人生の困難に出会って窮しても、苦しまないこと、心配で憂えて、意欲が衰えることがないこと。何が災いであり禍なのか、また何が福であるのか、どう始まり、どう終わるのか、というものごとの禍福終始を知って、惑わないこと。これこそが学問の本当の目的だというものです。残念ながら前知事は、学問の目的を間違っていたようです。

■孔子
学ぶ目的を理解し、本学を学んだ人と学ばない人との違いを表わしているのが、『論語』の「子曰く君子もとより窮(きゅう)す。小人窮すればここに濫(みだ)る」です。危機的な状況に陥っても平素と変わらない孔子に対する、弟子の子路の質問「君子も窮することがあるのですか」への答えです。君子なればこそ窮する場合さえある。だが君子は窮しても慌てない。小人は窮すれば慌てふためき自暴自棄となってしまう。君子と小人に差があるとすれば、これだけだ。危機に直面したときにのみ、その違いが現れるものです。

■プラトン
約2500年前の古代ギリシアの哲学者プラトンは、「流転するすべての事物、生成するすべての事物は朽ちる運命にある」としながらも、「理性に支えられた人間の意志力によって打ち破ることができる」とも言いました。つまり、すべてのものは、放っておくと無くなりますが、人の智慧によってのみ、あり続けられることができるということでしょうか。「人間は教養を積むだけでは正しい生活は送れない。高みを目指すには洞察力が必要だ」という言葉にも共通していることだと感じます。やはり末学だけで継続するのは不可能なのでしょう。

■選挙
翻って、今月に予定されている参院と都知事の選挙です。約2500年前から伝え続けられている荀子や孔子、プラトンなどの先哲の言葉を普遍的な真理だとすれば、政治家は肝に銘じなければなりません。もちろん知識として知っているだけでは駄目で、日頃より実践することが大事だと思います。しかしながら、現代日本のような平穏な環境においては、本物と偽物を見分けられる場面が少ないかもしれません。だからこそ、選挙の際には、候補者が本物のリーダーかどうかを見極められるだけの洞察力を持つよう、私たちは本末転倒せずに努める必要があると思います。