「原因 >結果」
2016年11月1日
「原因 >結果」
■因果の法則
先月27日、三笠宮殿下がお亡くなりになりました。軍人として太平洋戦争を経験、戦後は歴史研究に尽力されました。大学で教鞭をとっておられた時の映像で、「物事を判断する場合は、目に見えている現在の姿だけではなく、なぜそうなっているのかを元をたどって考えることが大切だ」という趣旨のお話をされていました。それで思い出したのが、「こういうものだと思ってました」とか言って、それ以上深く知ろうとしない壁を自分で作ってしまうという『バカの壁』(養老先生)です。「バカの壁」は、結果があれば必ずその原因があるという”因果の法則”に気づいた人と気づかない人を隔てる壁であり、日常で「どうすればいいんだろう」と悩んだ時に解決策が出せるか否かの大きな壁でもあります。
■”原因”の探求
ものごとが起こったり、あったりする理由、元々の姿、最初の状態、真理、本質等々を追及していくことにより、「原因」を探し求めることができれば、いちいち”答え(結果)”を暗記しなくても、「原因」から洞察・類推・想像することで”答え(結果)”を導くことができるようになります。この導き方、つまり洞察力は、暗記力のある若い時には差がでませんが、暗記力が落ちる中高年ともなると、あるのとないのとでは大きな差がでます。また、何かでうまく成功したことがあったとして、まぐれでできたことは再現できませんが、「原因」を分かっていてできたことは再現できます。成功したことをもう一度やれれば、本当の実力として認められるので、”原因”の探求は成功への必須スキルといえるのです。
■心の平安のため
”原因”探求には、さらに大きな目的があります。それは平常心とか、不動心とか、心の平安とかいうことを身に着けるためです。ナポレオンヒル博士は、「ものごとの原因がわかると、恐れは心から少しずつ薄れていく。自分の思考を恐れのないものにできたら、どんなことも思いのままに成し遂げられる。この思考を得るには、ものごとの「原因」を探る習慣を持つことです。ものごとの「原因」がわかると恐れは心の中から少しずつ薄れてきます。「原因」を考え続ける。そうすれば、すべての答えは自分の中にあることに気付くことでしょう。」と言われました。確かに私たちは、何らかの恐れや不安を常に心に抱えていますので、それらを解消するためにも、”原因”の探求は必要というわけです。
■自己効力感のため
自己効力感とは聞きなれない言葉ですが、例えば、難しいことややったことのないことに直面したときにでも「自分にもできそうだ」と思えることです。自分に対する信頼感や有能感のことをいいます。「絶対できる」と思うことができれば行動に移せますが、「どうせできない」と思ってしまうとなかなか行動できないのです。この自己効力感が形成される要因の一つが代理経験です。本を読んで偉人の成功への道のりを知ることができたり、すぐれた職場の上司の達成している様子を観察できると、「自分にもできそうだ」と感じることがありますが、これを代理体験といいます。これも成功や達成の「原因」を知ることが、自分を力強く動かすことができるようになるという大きな理由の一つです。
■科学と哲学
『老子』には、「人間には欲があるから、ものごとの表面的なものを見て、幸不幸を感じる。欲が無ければ、物事の本質が見え、幸せも不幸も感じることはない」というものがあるそうです。どうやら、”原因”探求を邪魔しているのは欲のようです。これは2500年以上の昔から変わらない普遍的な真理であり、お金・家・クルマ・学歴・名誉等々という表面的な幸せだけを求め過ぎている現代資本主義の抱える問題の原因は、ここにあるように感じます。ところで、”原因”の探求をすることを「科学」や「哲学」と言いますが、どちらもお金を儲けるためにやれることではありません。ノーベル賞の山中教授や大村教授や大隅教授は、人の幸せのために”原因”探求をしておられるからこそ一流の科学者なのです。
■哲学者は心配せず
‶哲学者は心配せず〟と訳されるフィロソフス・ノン・クラートというラテン語の言葉があります。哲学者とは、”原因”の探求を続ける人ですから、ものごとの理由や原因を知ると、恐怖や不安が解消し、心配することがない心持ちでいられるということでしょうか。安岡正篤先生は著書で「我々は何のために学ぶのか」「内面的には良心の安らかな満足、またそれを外に発しては、世のため、人のために自己を献ずるということである」「道を求め、書物を読むのは、点地の理をつかんで、安心立命に至り、自分が命を奉げる課題を見いだして、世のため、人のためになることである。人のお役に立てているという思いは、この世に生まれてよかった、私でも生きる価値があるという満足感を生み出すのだ」とおっしゃられています。自分のためだけに結果だけを追い求めることが愚であるということが良く分かります。