「複線 > 単線」
2017年5月1日
■フェイクニュース
先月23日に投票が行われたフランス大統領選挙で、マクロン氏など複数の候補を中傷するフェイクニュースが次々と拡散し、投票に影響が出たかもしれないというニュースを見ました。フェイクニュースとは、偽情報・デマ・ウソのことですが、実は最近、我が国でも、何と一部上場会社がフェイクニュースを発信していたという事実もあり、一般人も「福岡の陥没事故で出来た穴は放射能に汚染された土で埋められた」というような偽情報を発信、拡散するなど、世界的に憂慮されているものです。フェイクニュースを信じ、真偽を確かめないまま拡散するのはなぜなのか。根底には、物事を深く考えられず、単純・簡単化してしまうという思考の問題があるのではないかという仮説を立ててみました。
■唯一絶対の答え
偽情報・デマ・ウソは、昔からあることですが、現在ではSNSが発達し、瞬時に不特定多数に拡散してしまいます。ウソを発信する人よりも、真偽を確かめもせずに転送してしまう人やウソを本当だと信じ込んでしまう人がいる多数いて、増え続けていることが大問題です。本当は、受け手の一人ひとりが、情報を考えもないまま信じ込まず、考えて適切に判断をできればいいのですが、判断できない原因の一つに、いわゆる「詰め込み教育」があると思います。知識や情報という基礎を身に着けることは大切なので、「詰め込み教育」そのものが問題なのではなく、「詰め込み教育」に慣らされ、「勉強とは暗記することだ」「答えは一つしかない」と思い込んでいることが、最大の問題だと思います。
■古事記と日本書紀
先月、職場の皆さんと「100分で名著」という番組の『古事記』四回分を見ました。そのなかで、ヤマトタケルは古事記と日本書紀の両方に出てきますが、指南役の三浦佑之先生は、その描き方が全然違うのは、「日本書紀」は、国家の正統性を強調する目的で作られた歴史書、対する古事記は、ひとことでいえば、敗者の物語ではないかという見立てをされました。つまり、歴史というものは、事実は一つであったとしても、立ち位置が違えば、見方は変わってくるということです。と、いうことは、学校の勉強やテストのように、唯一絶対の答えなど、実社会のしかも難しい問題ではあり得ないことで、物事はいろんな見方があって良くて、複線(的)思考も必要という教訓なのだと思いました。
■何のために学ぶのか
学校を出るまでは、決まっている答えを短時間で数多く当てた者が優位ですが、社会に出て、地位や年齢が高まるほど、多面的で柔軟な考えを持ち、客観的かつ冷静に課題を解決し、自分や周りの人を幸せに導く者が優位だと思います。本当の勉強とは、人として求められる是非善悪の判断基準を身につけるために、むしろ社会に出てから、学び続けることです。そもそも、何のために学ぶのか、古代の思想家・荀子は、学問とは出世や生活のためではなく、何が禍であり何が福であるかをたくさん知っておいて、予期せぬ困難に遭遇して困ったり、心配事でへこたれるような、様々な危機に備えるためであると言っています。このような学びを実践するためにはどうすればいいのでしょうか。
■思考の三原則
東洋哲学者、安岡正篤さんは、問題や課題に対しては、三つの原則に沿って考えることを薦めています。その三原則とは、「第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える。」というものです。様々な情報に対して、この三原則で検証するようにすれば、フェイクニュースに騙されないのはもちろん、仕事や人生での様々な問題に対して、役に立つ考え方を身につけていくことができるのではないでしょうか。しかし、このようなメソッドは、したくてもなかなかできないものですが、やれるようにするには何が必要でしょうか。
■あなたを護衛する8人の騎士
ナポレオン・ヒル博士は、「あなたを護衛する8人の騎士」として、「1.心の平安の騎士、2.希望と信念の騎士、3.愛とロマンスの騎士、4.心身の健康の騎士、5.富の騎士、6.全般的な知恵の騎士、7.忍耐の騎士、8.ノームヒルの騎士」を示されました。物事は、多くの選択肢から選べたほうが、成功確率は高まるものです。不安や恐怖に占められる心持ちでは視野が狭まり、単線的に判断してしまいがちで、フェイクニュースに騙されるような失敗につながりかねません。複線的な選択や冷静な判断、適切な判断をするには、平常心であることが前提です。ヒル博士が最初にあげた「1.心の平安」を身に着けることこそ、自分を守る最大、最強で、永続的に使うことができる武器になるのだと理解しました。