「普遍 > 独善」
2017年10月1日
■ハムレットの心境
最近、100分de名著で『ハムレット』を見ました。王位と母を奪われたハムレットは、伯父の謀略が原因だったことを知り、復讐を決意しますが、なかなか実行できません。熱情に身をまかせ復讐を成し遂げるべきか、理性によって感情を抑え耐え忍ぶべきか?まさに「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と悩みに悩み続けます。そして、理性と熱情のジレンマの中で、「どちらが気高い心に相応しいのか」とさらに悩みますが、結局のところ、真の気高さは、人間としての限界を知るところから生まれるのだと悟るというお話です。私たちもハムレットではないのですが、常にいろんな場面で選択に迷い、悩み続けます。そこで今回は「判断する」ということを考えてみたいと思います。
■AI時代のサムライ業
最近、新聞に「AI時代のサムライ業/代替の危機・奪われる定型業務/人間は判断担う」という記事がありました。ここでは、AIの利用が広がるにつれ、法律により手続き業務の独占が守られている弁護士や税理士、社労士等々の仕事はAIに取って代わられかねないというものでした。この流れに対して、いち早くAIを取り入れたり、業務の見直しに取り組む事例も紹介されています。しかしながら、定型業務をAIに任せると人は判断業務をしなければならないという理屈は分かるのですが、ますます高度化するビジネスの分野において、サムライ業に限らず、そもそも今まで判断する仕事をしていない人たちが、転換できるものなのか、言うほどには簡単なことではないなと感じました。
■判断できる人になるには
仕事というものは定型業務か判断業務かの二者択一という単純なものではないですが、どちらを主としているかはあります。未来に向け、人が担うべき仕事は、レベルの高低はあるにせよ、判断業務にシフトすることになるでしょう。ポイントは、判断できる能力を持てるかどうかで、自らのポジションが決まってしまうというものです。よく考えると今でもそうなのですが、難しい定型業務を人間がやる領域が狭まるため、より重要になってくる点が、従来との最大の違いとなります。まずは、判断業務を担うスキルを養うためには、自分なりに是非善悪の「判断基準」を確立することが肝要です。基準なくして、何も決められません。それはどうやって作っていけばいいのでしょうか。
■個人的な経験
何より、基準を確立するには、やはり経験が必須です。自らが経験したことなら、再び遭遇しても対処できやすいといえます。しかし、たまたまマグレでできたことは、再現性はなく、経験といっても趣旨が違うかもしれません。また、子供の頃から、ガリ勉をさせられ、点取り虫となり、偏差値の高い学校を出たレベルで止まった人たちは、暗記した文字の羅列の復元は得意ですが、自らの経験から類推して目の前にある問題を解決することは苦手のようです。さらに、個人的経験は、ともすれば独善的になりがちなので要注意といえます。このように、個人的な経験を解決につなげるのも、地位や年齢、難易度が高まるにつれ、活かそうとする意思の強さに大きく左右されるように感じます。
■人類全体の体験
個人的な経験には限界がありますが、過去を含め、他人の経験は無限大です。これを味方につけない手はありません。小職などは、日頃から常々「他の人たちはどうしてるのかなぁ」とか「昔の人たちはどうしていたのかなぁ」とか考え続けていますが、先人の知恵を借りる近道は「歴史」です。塩野七生さんは「過去や現在のことに想いをめぐらせる人は、人間というものは同じような欲望に駆られ、同じような性向をもって生きてきたことが分かるであろう。だからこそ、過去の状態を詳しく学ぶ者は、現在のことも容易に判断がつき、古の人々の行為を参考にして対策を立てることもできるのである。」と歴史を学ぶことは、いつでもどこでも誰にでも当てはまるという「普遍性」を示されています。
■気高く生きる
『ハムレット』に学ぶとすれば、ハムレットが到達したように、「大きな観点から弱い人間として自分を見ることで、最善の生き方を尽くすよう、気高く生きるのだ」という志、決意、意欲を自分が身につけることでしょうか。元伊藤忠社長の丹羽宇一郎さんは、「教養とは、自分が知らないことを知っていることと、相手の立場に立って物事が考えられることである」とし、その教養を磨くものは、仕事と読書と人であると言われています。私たちも、多角的に学びながら、教養を備え、独善に陥ることなく、大きな観点から普遍的な真理を身につけ、いつでもどこでも誰にでも通用するレベルで、自らの「判断基準」という拠り所を確立し、来るべき大変革時代に備えておきたいものだと思います。