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「給与DXのエムザス」 給与とシステム両方を本業に約20年

社長とれんど考察

「最善 > 完璧」

2017年11月1日

■総選挙
先月総選挙がありました。結果は与党の勝利でしたが、野党の混乱という敵失による勝利ともいえます。結局、現政権はそのまま継続することとなりましたが、野党側は分断し、ますます一強多弱の様相を呈することになってしまいました。古今東西、現有の権力に対抗するには、人物金すべてにおいて同等以上の力量が必要なことは誰もが分かっていることなのに、今回もできませんでした。わが国において、このような現象はもう四半世紀は繰り返されているのですが、その原因はどこにあるのでしょうか。また、同じようなことは、政治家のみならず、ビジネス界においても起こっているようにも感じています。いずれの世界にも共通する「人と組織」の側面から考察してみたいと思います。

■完璧主義
日本の習慣化コンサルタント古川武士さんのご著書では、完璧主義から脱することの大切さを説かれておられます。今回の選挙では、野党分裂の大きな原因の一つは、この完璧主義が根底にあるように思います。政策や考え方はこれしか許さない、重鎮は入れないなど、自分たちと違う人は受容れないという思考です。新党の誓約書が象徴的でしたが、古川さんは、「こうあるべきだ」という理想を作り過ぎて、うまく行かないケースを紹介されています。そして、完璧主義は悪いのかというと、悪くはないのですが、デメリットも多々あることを指摘しています。最大のデメリットの一つは、「こうあるべきだ」に偏りすぎると、人が寄ってこなくなるということです。

■不寛容の末路
「排除します」や「自分の力で当選したと思うなよ」などの言葉に端的に現れていますが、寛容性のなさは、お友達は近づいても、遍く多くの人々は敬遠するものです。完璧主義者は、自らにもそうですが、他人にも完璧さを求めます。部下や同僚、家族やパートナーに対しても完璧性を追求してしまいます。自分の考えや方法を正しいと信じているため、他の考え方を受容れられません。このような自己中心的な思考は、良好な人間関係を生むことはありません。本気で現政権という強固な権力に対抗するのであれば、排除の論理では絶対に叶いません。人の集まりである組織は、寛容度合いが高くて発展し、寛容度合いがなくなって崩壊する、それは歴史が証明していることです。

■最善を目指す
それでは、完璧主義よりいいものは何でしょうか。古川さんは最善主義を提唱されています。最善主義とは、「力の入れどころと抜きどころを見極めて、より無駄をなくし、限られた時間で最大の結果を出す」ことです。最善主義こそ、多くの仕事やプライベートの用事において、限られた時間を自分の幸せと成果のために、最大効率で使えるようになる思考だと定義されています。今回の選挙は、三極の選択ではなく、その本質は完璧主義対最善主義といえます。与党は、相対的に柔軟で現実的な姿勢があると推察します。少しでも寛容度合いが高い集団に人々が集うのは、言うまでもありません。残念なことに、古くからある「完璧を脱し、最善に向かう」という物語は教訓になりませんでした。

■ハムレットの悟り
400年以上のロングセラー『ハムレット』では、主人公が父の復讐を遂げようとしますが、なかなか実行できない時間が長く続きます。そして最終段階でようやく、「こうでなければならない」という力みや呪縛から解き放たれたときに、ようやく自然なかたちで復讐を遂げることができます。ここから得られるものは、自分自身を縛ってきたある種の完璧主義から離れられたとき、自分の目指すものが成就される場面に、ようやくたどり着けるという境地があるということです。別の言い方をすると、結果そのものを求めるのではなく、そこに至る道筋をひとつずつ重ねていけば、結果は自ずとついてくるのでしょう。権力を得ることだけを考えていると、結果としては得られないともいえます。

■遠くに行きたいのなら
最近、銀行からいただいた一口メモに載っていた「早く行きたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行け」という言葉に目が留まりました。これはアフリカのことわざで、危険がいっぱいのサバンナを移動するには、短距離なら一人で早く歩いた方がいいでしょうが、長旅になると皆で助け合わないと、目的地に到達することは難しいということです。ビジネスに転じてみると、事業を大きく育てたいのならば、多くの社員とともに、みんなが力を合わせて、頑張っていける組織作りの大切さを暗示していると思います。その域に達するには、完璧主義で間口を狭めるのではなく、最善主義を取るように努め、門戸を広げていく必要があると思います。