「目的 > 手段」
2020年8月1日
■DXとは
前回は、ビジネスの世界において、コロナショックによってテレワークが急速に普及したことにより、特に営業に焦点を当てて、従来に比べると熱意行動力よりも情報分析力が重要視される傾向にあることを考察しました。今回は、そもそも論ではありますが、DXについて考察して参ります。DXとは、デジタルトランスフォーメーションの略語で、「デジタル技術とデータの活用が進むことによって、社会・産業・生活のあり方が根本から革命的に変わること。また、その革新に向けて産業・組織・個人が大転換を図ること。」と定義され、インターネットを活用して仕事のやり方を変えて行こうということは理解できても、分かったようで、よく分からないのが本音であります。
■DXは手段
経団連の提言によると、「デジタルやデータによる変化はテクノロジーの変化ではなく、社会基盤や文化そのものが大きく変化。社会の価値基準や物差しが変わる。DXは、デジタル技術を用いた単純な改善・省人化・自動化・効率化・最適化にはとどまらない。社会の根本的な変化に対して、時に既成概念の破壊を伴いながら新たな価値を創出するための改革がDX。DXはITシステム改修の話にとどまらず、社会やビジネスの根幹を揺るがす問題。企業が、経営の最重要課題として積極的・自主的に取り組むべきもの。」とされ、狩猟、農耕、工業、情報に次ぐ創造社会(Society 5.0)と位置付けられており、DXはかなり奥が深いものだと感じます。
■DXの目的
社会の価値基準や物差しが変わってしまうSociety 5.0での産業構造は、大企業を頂点とするピラミッド型の構造から、協創型のフラットな構造へと転換すると予測され、企業と社員との関係も大きく変わることになりそうです。人・物・金の重要性は変わらないものの、時間・情報・ノウハウといった無形価値の相対的重要性が増していくことでしょう。つまり、DXを手段として、道具として、フルに活用し、今までになかったビジネスモデルの構築や今までできなかったビジネスプロセスの革新を実現することが目的となります。しかしコロナ前からDXは経営課題にあがっているものの、DXを目的としてとらえることが多いのが実情との報道もあります。
■DXの実現
DXがなかなか進まない原因の一つとして、日本企業のDX解釈が「AIやIoTなど先端のデジタル技術を活用して、何かを行うこと」と誤解されているという話があります。「DXって何ができるか分からないのに、何をやりたいのかなんて分からない」ということらしいです。また、何でもかんでも他社事例を求める日本的風潮も問題です。海外では「どこもやったことのない新しいアイデアを一緒に考えて欲しい」と言われるのとは大違いだとの笑い話もあるようです。それと、何を行うかを現場に押し付けているという話もあります。もちろんすべての企業ではないでしょうが、これでは我が国のDXが遅れていると言われる所以がよく分かるエピソードです。
■DXごっこ
都立大院松田教授によると、陳腐化したビジネスモデル、撤退しきれない不採算事業、隠れた負債の存在、ひた隠しにする減損損失の懸念などを断ち切って、遅れに遅れて名前だけDXに変わったITの推進に取り組む必要性を指摘しています。特にDXというならば、「少なくとも製品やサービス、ビジネスモデルを一変させて将来の競争優位を勝ち取る、事業に直結した戦略でなければなるまい」とし、「実際に検討されている内容はどうか。脆弱なITインフラの補強や、非効率なアナログプロセスの見直しだけ」でお茶を濁しているようなら「DXごっこ」と称されると警鐘を鳴らします。現場丸投げではなく、経営レベルでDXの定義と目的を明確にして進めなければなりません。
■DXの目標
DXによる社会的変革、経営的変革は必須であることは理解できました。これらは長期的視点で取り組む必要があります。同時に、いますぐにでもできること、DXの短期的視点(目標)も必要です。コロナを機に身近になったテレワークで考えてみます。外出の自粛が要請されるなかで、会社に出向くことは、感染リスクの観点から避けた方がいいのですが、出社しなければできない仕事が残存することは変えられる可能性があります。仕事をテレワーク仕様に変えていくことを目標とします。各種資料を電子化し、利用システムのクラウド化による共有化、手書きなし、判子なしの体制はとることができます。さらに入力レスになればDX化の第一歩が実現することでしょう。
■リープフロッグ
ショックとは「大きな不連続」だと言われますが、コロナ前のDXとコロナ後のDXでは、企業のとらえ方が大きく変わりました。DXを目的としていては新しい価値の創造にはなりません。一方で、コロナを境に、今までDXとは縁がなかったような業種・業態・企業でも、一気にDXシフトすることにより、リープフロッグ的発展をすることも可能となります。逆に時代の大きな変革を読み切れずに衰退に向かうこともあり得ます。フラットな産業構造とは、資本や資源の厚みだけでは生き延びていけなくなる社会なのです。それまでの権威や権力が意外にも簡単に崩れていった歴史を教訓とすべきだとコロナが示唆していることに気づく時なのかもしれません。